松ちゃんはこんな人

松本文明の自己紹介 2012年11月20日収録

自己紹介(自己紹介動画の要旨)

昭和24年3月25日、広島県世羅郡甲山町、山あいの村で生まれた。
同級生は54名。わんぱく盛り、毎日、野山を駆け回った子供時代。
プールのない時代、夏は溜池や川で泳いだ。自然に恵まれた楽しい小学校時代だった。
世田谷区立奥沢中学校に入学。
母子家庭、六畳一間の共同トイレ、共同台所。生活環境が大きく変わった東京生活の出発だった。
中学3年間、ハンドボールに熱中した。
曹洞宗の学校である世田谷学園高等学校に入学。
3年間、生徒会活動に没頭。
明治大学夜間部に進学。
時は学生運動真っ盛り。ほとんどの授業が休校に次ぐ休校。
生活費を稼ぐために選挙運動に没頭。
大学二年の時、当時の都議会議員(高橋一郎)の書生となった。
住み込みで、学費、生活費を面倒見てもらえるたいへん恵まれた環境だったが、
秘書として一日24時間365日、地域の皆様との会話、交流、選挙運動に没頭、気がついたら大学卒業を迎えていた。
卒業後もそのまま秘書を続け、5年間の住み込み後、結婚。
17年間の秘書生活を経て、東京都議会選挙に初挑戦(昭和60年)。
大変なご支援をいただき、初出馬初当選、若い都議会議員として働かせていただいた。
3期目に一度落選を経験したが、おかげさまで平成9年に返り咲いた。
そして、衆議院に挑戦。
一回目は落選。二回目、小泉ブームの中で当選。
三回目は政権交代という大きな嵐の中で落選。
しかし、私が19歳からずっと歩いてきたこの道は、政治と常にて、
政治の最前線で有権者の皆様、住民の皆様の声に直接触れながら過ごした今日までの歴史。
積み上げられた歴史、有権者との皆様とのふれあい、その声を国政にきちっと届けたい。
しっかりと落ち着いた政治、時間をかけてもやるべきことを実現していく、
そういう落ち着いた政治。力強い政治。スピーディな政治をつくりたい。
懸命に戦います。ぜひご理解ください。ありがとうございました。



松本文明(松ちゃん)の頑張った政治活動の一部です。 都議会議員時代から様々な課題を解決してきました。

① 西武線立体交差事業の事業化 (開かずの踏み切り解消問題) に、中野区・東京都・囲との間に、 東京都議員時代から入り努力しました。
一期工事は、西武線 下落合駅から野方駅までの立体交差事業(地下化) が間もなく始まります。 

② 河川改修事業
区内の河川氾濃を防ぐため、東京都、区、全体で長年に亘り運動を展開し、神田川・妙正寺川の河川改修が行われました。

③ 警察大学跡地利用に関し、中野区・財務省との間に入り、駅周辺のまち作りのために努力しました。 現在の中野駅周辺は23区中でも人気のあるまちに変貌してきました。

④ 中野区、厚生労働省との間に入り、江古田、国立療養所病院跡地利用計画に努力しました。 
現在、東京一すばらしい老健施設と区立公園が建設され運営されています。

⑤ 中野区内、山手通り(環状6号線 中野坂上を中心)の拡幅に伴い、 東京で初めて歩道に並立させた自転車道を敷設させました。 その後、都道における自転車道が徐々に増え始めています。

⑥ そのほか、努力し解決させた政治課題はたくさんありますが、
現在も継続して渋谷区・中野区・東京都との連携を強くし、国とのパイプ役として日夜頑張って活動しています。
 
松本文明のこれまでの実績はこちら ⇒ 
 
 
2012年5月14日(月) 松本文明政経フォーラムでの激励メッセージ

■元内閣総理大臣・衆議院議員 自民党総裁 安倍晋三様 (2012年当時)

天はどうしてこんなに何回も松本さんに試練を与えるのかと思います。 

松本さんは大変な論客ですから、自民党の部会でも、みんな瞠目していました。そして、もちろん政治家として類まれなる指導力があります。これは松本さんの人格なんですね。

松本さんの場合は『松本さんが言うんだったら』ということで皆が集まってくれる。それが松本文明さんの力なんだろうな、と思います。

前回の選挙において、残念ながら議席を守ることができなかった。その日から誓いを立てて、誰よりも多くの街角を歩いて、誰よりも多くの回数、街角に立ってみなさんに訴えてきた、夫婦二人で靴をすり減らしてきました。ほんとうに大変だっただろうなと思う。松本さんはもともと立派な政治家でありますが、さらに一回りも二回りも大きくなったのかなと思います。

次の日から街頭に立ってがんばった。こういう人に任せようではありませんか。

今日は福島県から亀岡(よしたみ)さんがやってきてくれた。昨年、私は亀岡さんに言われてトラックにいろんな物資を積んで南相馬市に持っていった。トラックから降りたら、作業着を着て、どっかでみたようなおじさんが作業をしているなと思ったら松本文明さんなんですよ。

彼は、落選したグループ『奪還の会』の幹事長で、みんなをまとめて、その人たちを連れて南相馬に行って泊まり込んでいた。あそこは福島原発から30キロ圏内と言われている地域。そこで海岸線でずっと遺体捜索をみんなでやっておられた。そういう地味に、だれもやりたがらないような仕事をやるのが松本さんではないかと思う。おそらく誰も知らないですよ。みなさん知らなかったでしょ?そういう話を。松本さんは、何をやったという話をあまりしない、という問題点があるんですよ。

 
ぜひみなさんには松本さんはこういう素晴らしい政治家なんだ、こういう実績がいっぱいありますよ、ということをもっともっと多くの皆さんに知っていただきたいと思います。

私たちは政権を奪還して、決められない・決めない政府からみんなが十二分に力を発揮できる政府を取り戻して、そして私たちが決断をして日本を誇れる国にしていきたい。

そして来たるべき総選挙では皆さんの代表である松本さんに力強い支援をいただき、3年前までのようにこの地域の代表として活躍をしてもらおうではありませんか。


 
■ 自民党福島県第一選挙区支部長 奪還の会 代表  亀岡よしたみ様
 

震災直後、すぐに松本さんに支援を要請した。


松本さんは一言「わかった」と言って、10人連れて、あの誰も来ない南相馬に来てくれたんです。私はこのときは涙が出るほどうれしかったです。大事なのは、政治家としてどの国民も守るという覚悟があるかということ。恰好はヘルメットに作業着で、「あの人ほんとに政治家?」と言われるようなものだったが、本当に朝から晩まで足を棒にしてあれだけ働いてくれた姿を見て、地元の人が涙を流して喜んでました。


 
今日も来るときに私は言われたんですけど、「亀ちゃん、今度松本先生の選挙の応援の時はバスでいくぞ」と言ってくれたんです。応援に行きたい、と。自殺しようとしていた人を思いとどまらせることができたんです。野菜を売ってくれたんですね。
 
だから今日はひとつだけ皆さんにお願いがあります。 松本文明応援団サイト

なんでこんなふうになったんですか?自分さえよければいい、自分が逃れるためにはほかの人に迷惑をかけてもいい、そんな政治家をつくっちゃいけないじゃないですか。松本先生を見てください。「俺、被爆してもいいからカメちゃん助けてやるよ」って本当に来てくれたんですよ。これが政治家の覚悟じゃなければいけない、だから有権者の皆さんも真剣 に政治家を選ばなくてはいけない。2万6千円で買収されてしまった前回、ほんとうに残念です。テレビでしか人気の出ない人を当選させちゃいけない、ということです。

今こそ立ち上がっていただいて、渋谷・中野の思いを思い切り松本先生にぶつけていただいて、そしたら必ず、福島から応援に来ます。ぜひ、お願いを申し上げます。
 

 



松ちゃん 応援団の声


Aさん
とっても真面目で、なんでも本当に耳を傾けてくださるんで大ファンです。

Bさん
平成16年から私どもが町会でいろいろ困ったことが環境問題とかでも相談すると、本当に私のようなものでも誠実にお応えしてくださって、即、回答いただけるので、本当に素晴らしい先生だなと思っております。

私は中野区民なんですけど、中野がこれだけよくなったというのは本当に先生のおかげというのが一つ一つあるんですけども、それを決して先生は、自分がおやりになったということは絶対におっしゃらない。区民にそこがもう少しわかるように、私どもがPRをしたいなと思っております。

Aさん
本当そうなんです。絶対、自分の口から「自分がやった」ということを絶対おっしゃらない方で、ほかの先生はよくおっしゃるんですよね、「これもやりました、あれもやりました」って。でも、実際はやっていただいていないんです、中野区のためには。ですから、絶対今回は先生に復活していただきたいと思っております。


Bさん
町会としては生活道路というか道路のない町だったんですが、駅まで道路をつけていただきましたし、それから大きくは妙正寺川の氾濫とか、それから西武線の高架とか、本当に私たちのために尽くしてくださっていると思ってます。

Aさん
本当に私たちの道路がなかったんです、駅まで行く。それを先生、本当に一生懸命、私たちの立場になって本当に耳を傾けていただいたんで、みんな感謝いたしております。

Cさん
みんなから「まっちゃん、まっちゃん」と言われるくらい秘書時代から叩き上げで来てますし、苦学をして、それで学校を出られて、高橋先生の支えを受けてやってこられた。非常に勉強してますよね。いろんなことを先取り、先取りで。今の自民党に足りない部分を彼に補っていただくというふうな実行力がある人ですね。

 


 


松ちゃん に聞きました。

Q 「幼いころから苦労した分、他人の気持ちがわかる人」と評されることが多いですが、ご自身ではどのように感じてますか?
私は、広島県の山深い里で生まれ、小学校6年生までそこで育ちました。
親父が事業で失敗したので、親父の兄弟に育てられました。
それから中学一年の時に、母と一緒に東京に出てきました。そういう環境をみて「まっちゃんは苦労人だね」とよく言われますが、本人はまったく意識したことはありません。
逆に、大自然の中で育ててもらったという感謝、大家族の中でみんなで寄ってたかって育ててもらったという感謝が、「みんなで一緒にひとつの仕事をする」「目標に向かってやっていく」というところにつながっている感じがします。
親父の兄弟は10人うまれて8人育ちました。私が幼い頃の食卓は、食事自体は貧しかったけど、いつも10人くらいで一緒に食事をとっていてとても賑やかでした。そして、そのなかでいろんなことを学んだり、感じることもできました。
いま、家庭が孤立し、親子の間で起こる悲惨な事件があとを断ちません。家族、友人、地域に深い愛着、思いを持って生きていくという日本の歴史と伝統が非常に薄らぎ、その結果として、社会や国家との絆、国民同士の絆が薄らいでいるのではないか?ということを大変心配しています。
誰に感謝をして、誰のために生きるのか?何のために生きるのか?そして、親孝行や友情といった非常に基本的な課題について、「どこかで教わったことはある」というぐらいの教育環境は最低限必要だと思いますし、それが自然と醸し出されるような社会でありたいなと思うんです。
私は、古いクルマが好きです。
幼い頃、自転車に小さなエンジンがついたものが村で走り出した。それから、それまでは牛や馬でやっていた農作業の中に発動機が入ってきました。排気ガスの匂いに新しい時代を感じました。
やがて、スクーターになり、ミゼットが走りパブリカが走り・・・。はじめて隣に乗せてもらった時の爽快感が、乗せてくれたおじさんの人柄や笑顔といった思い出の風景と一緒に蘇ってきます。
かつて、みんな貧しかったけれども、懸命に働けば、自転車、次は冷蔵庫、クルマ、マイホームというふうに買えた時代があった。物欲を満たせばいいという意味でなく、少しずつ自分の周りが豊かになってきて、そこに自分の存在感を見て取ることができたら、小さな幸せ、希望、夢を持つことができると思うんです。
それがなくて、「働けど働けど我が暮らし楽にならざり」というような時代がずっと続いたら、社会の閉塞感が大変なことになってしまう。
やはり懸命に働いたあとにのこる爽快感、達成感を感じられる社会にしなくちゃいけない。夢を持って、楽しく豊かに暮らす、そのなかにどっさり幸せ感を持てるような、そういう国をつくりたいと僕は思っています。

Q 一日休みが取れたら何をして過ごしていますか?
友達と一緒にゴルフをするのが好きです。読書も好きだし、小さな小さな庭ですが掃除をしたり、水をまいたり、洗濯したり、掃除機をかけたりすることに夢中になっています。

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